「春夏秋塔」
第一章 異様なビル
男は疲れていた。
毎日必死で働いていた。昔掲げていた夢ももう思い出せなかった。
なんだか自分がわからなくなっていた。
しかし立ち止まることもまたできなくなっていた。
男が「その塔」の存在を思い出したのはそんな時だった。
そこはかつての六本木ヒルズ。
今はその姿を変え、とにかく異様な空気を放ち都心に建っていた。
中には何人もしくは何十人か人が住んでいて、まるで集落のようにビル内で自給自足の生活を送っているらしかった。
様々な用途の施設もあるようだが、その全容は全くわからない。
住人しか立ち入ることのできないエリアがほとんどだったからだ。
しかし「その塔」にはひとつだけ公にされている事があった。
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第二章 塔のルール
「その塔」にはいくつかのルールがあったのだ。
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その1、希望するものは誰でも入居可能である。
その2、入居者以外が塔内に入る事を禁じる。
その3、塔内についての一切の情報を外部に漏らす事を禁ずる。
その4、入居の契約更新期間は1年。1年以内の退去を禁ずる。
その5、入居する部屋には、必ず畑、田んぼが付く。管理すること。
その6、家賃は貨幣と農作物で、その割合は住人自らが定めること。
その7、入居者は塔内のあらゆる施設、設備が使用可能である。
入居希望者は手紙で連絡されたし。
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いったい何のためにこのようなルールがあるのか。何かの宗教団体なのではないか。
情報で溢れるこの時代に「その塔」は怪しくて仕方がなかった。
しかし男は人生に何か変化がほしかった。
危険を感じればすぐ逃げればいい。そう言い聞かせ、かつての六本木ヒルズの住所へ手紙を送った。
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最終章 人生に一年の空白を
男は「その塔」に住めることになった。季節は春。一年の始まりだ。
男は農作業などした事がなかったが、他の入居者が教えてくれた。
仕事が休みの日と出勤前に少し手入れするだけで、想像以上の収穫があった。
こんなにも自然と、土と触れた事があっただろうか。
季節がより鮮明に肌で感じられた気がした。自然の息吹、命の尊さ、大きな循環。
男は自分もこの地球に生きているものの一部なんだと、地に足がついた感覚を得た。
住人たちは自分に合った設備、施設を探し、お気に入りの場所を見つけていた。
絵を描く、文章を書く、身体を動かす、踊る、歌を歌う。自分の表現方法をみんな探っていた。
自分の夢は何だったっけ。男は物思いにふける事が多くなった。
そして瞬く間に一年は過ぎていった。
一年後、塔を離れたその男には、今まで過ごしていた都市がどのように映るのだろうか。
男は1年前と変わらず、疲れ果てるまで働くのかもしれない。
しかしマンションのベランダには、小さな小さな菜園ができているかもしれない。
思い出した昔の夢を、心に大切に持っているかもしれない。
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人は世界に違和感を感じたとしても立ち止まるのは難しい。
逃げ場もなく、大きな流れに飲み込まれてしまう。
もしもそんな世界から、少しでも隠れる事ができる場所があったなら、休める場所があったなら。あなたがもしそう願っているのであれば
「春夏秋塔」はあなたの人生に一年の空白を与えてくれる。そんな建築なのかもしれない。
「春夏秋塔」
2019年 鉛筆/ケント紙に水張り
サイズ:1189×1682㎜
ターゲット:六本木ヒルズ
サイン:裏面に記載
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